プロレスラーのザ・デストロイヤーさんが日本時間3月8日に享年88歳で亡くなりました。
自宅で子供たちと妻に囲まれながら平穏に去って行ったと報道されています。
往年のファンならばこの覆面レスラーを忘れることはできないでしょう。
死去された理由はなんだったのでしょうか?病名・死因などが分かればお伝えしたいと思います。
ザ・デストロイヤーさん死去の報道
覆面レスラーのザ・デストロイヤーさんの死去について、全米・日本国内で報道されました。
アメリカのニューヨーク郊外にある自宅で息子さんたちと妻に囲まれながら平穏に去っていった、という事です。
享年88歳でした。
自宅で穏やかに亡くなっていくというのは、本当に理想的な最期だと思います。
誰もがこのような最期を迎えられるわけではありません。
急変して亡くなると、本人はもとより残される側もつらいものです。
自宅で看取られる最後だったことは本人は安らいだことでしょう。
それでも往年のファンはショックを受けるでしょう。
ザ・デストロイヤーさんの軌跡
追悼の意を込めて、ザ・デストロイヤーさんの活躍を振り返っておきます。
リングネーム:ザ・デストロイヤー
(別称:ドクターX、ディック・ザ・デストロイヤー・ベイヤー)
本名:リチャード・ジョン・ベイヤー
生年月日:1930年7月11日
出身:アメリカ合衆国ニューヨーク州
身長:183cm
体重:120kg
職業:プロレスラー
【訃報】ザ・デストロイヤーさんが死去 https://t.co/vE7K5Trx6m #週プロモバイル pic.twitter.com/OR5tzGAV2G
— 週刊プロレス (@shupromobile) 2019年3月8日
アメリカの元プロレスラーでタイトルを持って今したが、1963年に来日し、力道山と対戦しました。
力道山といえば当時の日本で最も有名なレスラーでしたから、ザ・デストロイヤーさんとの対戦は平均視聴率が64%というとんでもない数字を残しています。
その後は、ジャイアント馬場のライバルとして注目され、またアントニオ猪木とも対戦しています。
その間の1973年から1979年は全日本プロレスに所属して日本に在住していました。
教え子には、ジャンボ鶴田や大仁田厚などがいます。
日本のプロレス界に大きな影響を与えた人ですね。
当時の人気はすさまじく、日本テレビのバラエティー番組で和田アキ子や徳光和夫と共演し、お茶の間を楽しませてくれました。
そして1993年に現役を退いています。
ザ・デストロイヤーの病名・死因は?
現時点では、病名・死因については明らかになっていません。
ここ数週間、病院のケアを受けていたという情報はあります。
享年88歳という年齢で、自宅で家族に囲まれながら亡くなっているので、病気で亡くなったわけではなさそうです。
受けていたのも治療というよりケアですし、期間も数週間と短いので、高齢のため定期的に診てもらっていたということかもしれないですね。
息子さんが「平穏に逝った」と言っていることからも、老衰・心不全という自然な亡くなり方だったのかな、と思います。
正確なことは分かりませんが、平穏であったことは何よりです。
最後に
日本のプロレス界を牽引されたといっても過言ではないザ・デストロイヤーさんの訃報がとどきました。
また一人、昭和の英雄が旅立たれ、さびしい限りです。
リチャード・ジョン・ベイヤーさんのご冥福をお祈りいたします。